シップ

目を覚ましかけている俺が感じたのは、生臭く潮っぽい空気。
おかしい、俺は東南アジアへ行く船の船室で寝ていたはずだが・・・
重い頭を覚醒させるため体を動かそうとするが、手も胴も足も自分の思うように動かない。
異常を感じ、必死で意識を覚醒させ目を開けた俺が見たものは・・・
両手足を縛られた胎児のような恰好で、甲板に置かれたドラム缶に押し込められた自分の姿だった。
ご丁寧に、腹のあたりまで半乾きのセメントがドラム缶を満たしている。
「あ・・・?」
何か声を出そうにも、意識が混濁してまともな言葉が出せない。
しかし、その声を聞いて視界の外にいた人物がこちらに気づいたようだ。
「おう、目ぇ覚めたか」
稲葉さんが笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。
よく見ると、甲板にはもう一人見知らぬ男がいてセメントを一心不乱に捏ねている様だ。


「なんなんすか、これ!」
ようやく意識がはっきりしてきて焦る俺だったが、
「何って、パーティーの準備やないか」
「は?」
からかうような稲葉さんの返事に、思わず間抜けな声を返してしまった。
「コンクリのドレスや。竜宮城へお招きされても恥ずかしゅうないで」
相変わらず飄々とした稲葉さんの言葉を咀嚼するのに、少し時間がかかった。
「ななななんで、俺が沈められることになるんすか!」
舌がもつれた俺の質問を無視するように、
「そこの男な」
セメントの男のほうを向き稲葉さんが軽い調子で俺に語りかける。
奥菜いうんや。一般人にしちゃ、珍しい名前やろ?」
「へ?」
混乱したのは、唐突な稲葉さんの言葉のせいではない。
奥菜という名前に聞き覚えがあったからだ。
俺も前に聞いた時に、芸能人みたいな名前だと思ったんだ。
あれはまだ振り込み詐欺をやっていた頃、60絡みのばーさんで、上客の一人で・・・
「ああああああ!!!!」
「理解したみたいやな」
目を見開き、酸欠のコイのように口をパクパクさせる俺に顔を寄せ、
「お前が詐欺で食い物にして、自殺に追い込んだのが奥菜の母親や」
稲葉さんが語り続ける。
「『俺だよ、俺!怖い人の金に手をつけちゃって・・・』やて?
まぁ、思うところがあったんやろうなぁ、現にワシなんかとも知り合いやったわけやし。
けどな、うつ病持ちの人間を追い詰めたら普通の人間よりよっぽど簡単に自殺してまうんやで?」
今気づいた。稲葉さんが笑っているのは口元だけで、目は全く笑っていない。


何か喋らないと恐怖に押しつぶされそうで、
「おおお俺のせいじゃない!騙される馬鹿が悪いんじゃないか!」
考えなしに脳裏に浮かんだ言葉を稲葉さんに叩きつけるが、
「そうやな。やから、騙された間宮が悪い」
稲葉さんはあくまで冷静に、微妙な言葉を返してきた。
混乱する頭を必死で回し、稲葉さんを問いただす。
「俺が騙されてたって・・・どの話ですか!」
「もう分かるやろ。ハナから全部や」
もはや俺にも分かっていたが、確認せずにはおれない。
「じゃ、じゃあ、あの不動産詐欺は・・・」
「ああ。裏で手を引いてお前に大やけどを負わせたのも」
なんでもないことのように、稲葉さんは軽く語る。
「そのあと詐欺のネタを流して、傷口に塩を擦り込んだのもワシの差配や」


自失気味の俺の顎に、稲葉さんが手をかける。
「ほれ、口あけい」
無理やり開けられた俺の口に何かが押し込められ、後頭部で固定される。
ボールギャグ・・・これで喋ることもできなくなった。
「おう、奥菜、もうそろそろか?」
「もういけます」
感情を押し殺したような男の声が、死刑宣告として耳に響いた。
「じゃ間宮、冥土の土産にええこと教えたる」
恐怖で細かく震えだした俺に、稲葉さんが
「水死てな、死ぬぎりぎりまで意識が無くならへんで」
ねっとりとした優しい声で語りかける。
「とてつもなく苦しいのが何分も続く、最悪の死に方やねんで」
ああ、そうか、このギャグは喋らないようにするためじゃなくて・・・
舌を噛まないようにするためのものなのか・・・
現実から必死で逃避する俺の視界に、セメントを運ぶ、奥菜の、姿が、見え